講師紹介(アーティスト紹介)
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危口統之
『正直、困っている』
[略歴]
悪魔のしるし主宰・演出家。1975年岡山県倉敷市生まれ。1999年横浜国立大学工学部建設学科卒。大学入学後演劇サークルに所属し舞台芸術に初めて触れるも卒業後ほどなくして活動停止、建設作業員として働き始める。周囲の助けもあって2005年あたりから断続的に活動再開。2008年、演劇などを企画上演する集まり「悪魔のしるし」を組織し現在に至る。2014年度よりセゾン文化財団シニアフェロー。ほんとうは危じゃなくて木。[コメント]
建設現場の労働に面白みを見出しそのパロディとして始めたのが2008年のことで、それから更に8年が過ぎ上演回数も20に迫ろうとしているが、ではかつて見出した面白みとはいったい何だったのかと自問しても、いまだによくわからない。広い意味での祝祭性が関係しているとは考えていて、ここで「広い意味」といったのは本当に広いからで、その広さをあますところなく味わってみたい気持はあるものの、作品としての方針を絞るときは、この祝祭性とやらもあるていど輪郭を狭めて扱わねばならず、その点では不満があるが、しかし作品とはそういうものだという妙に保守的なところも自分にはある。
作品としてキッチリまとめるために切り捨てる部分が発生するのは仕方のないことだし、事実これまでも演劇作品など作る際にはそうやってきたのだが、『搬入』だけは、もう何回も上演してるにもかかわらず、この手の切り捨てが良いことなのか悪いことなのかさえ判断がつかない。良い悪いの判断をするためには価値観が必要で、普段は自分、もっといえば自分なりに想定した観客像の眼差しを通したうえでの良い悪いなのだが、誰であろうとその場に居合わせた時点で観客とも演者とも判別がつかなくなる『搬入』においては、いったい誰の視線を借りればよいのか分からなくなる。正直、困っている。だから一緒に考えてくれる友人を募っている。 -
石川卓磨
『お祭りのようなゲームのようなプロジェクトを楽しみましょう』
[略歴]
悪魔のしるし舞台美術担当。建築家。1978年神奈川県相模原市生まれ。2000年横浜国立大学工学部建設学科卒。建築設計事務所NEWEST共同主宰。普段は店舗や住宅などの設計を生業としている。危口とともに、舞台や装置から観客席までを意識した「体験の設計」を担当。施工も好き。[コメント]
搬入する場所(空間/建物)と向き合い、それを自分の感覚でコントロールできるように模型へと変換し、搬入する物体の形と動き、ひいては周りの人の動きを考えながら、材料とモジュールと作り方とコストと実現可能性、施工手順をほぼ同時並行で考えながら〆切へと突っ走るというのはほぼ建築設計の現場で起こっていることと同じなのかもしれません。そしてセルフビルドで作りだした物体そのものが人を伴って動き出してしまうというのがなんとも爽快であり、とても軽やかでかつスピーディ、より実験的な場であるといえるでしょう。搬入プロジェクトは今回で20回目の開催です。ハイコンテクストな京都の地において、一体どんな展開を見せるのか非常に楽しみです。「プロジェクトメンバー募集」と名打ったのは、アイデア出しから始めて一緒にプロジェクトを作っていく仲間を欲しているからです。誰のどんな発想から何が起こるのかは毎回予測不可能です。常に可能性に満ちており、また混沌でもあります。講師も参加者もお互いに刺激し合える関係で、このお祭りのようなゲームのようなプロジェクトを楽しみましょう。 -
岡村滝尾
『誰のためでもなく、自分のため、自分の想像力を拡張する』
[略歴]
プロダクションマネージャー。1977年東京都新宿生まれ。2000年早稲田大学第二文学部卒。株式会社センターラインアソシエイツで舞台芸術の基礎を学ぶ。文化庁在外研修にて英国バーミンガムでの劇場研修を経たのち、母・岡村雅子と株式会社オカムラ&カンパニーを立ち上げ、現代音楽から舞台芸術まで多岐に渡る企画制作運営進行に携わる。[コメント]
私が担当するコースは「制作・広報」です。心得をここに記します。
①搬入プロジェクトを構成する要素〜悪魔のしるし、プロジェクトメンバー、ロームシアター、RAD、京都など〜を、できる限り知ること。そして、それらを全て受け入れるようにしましょう。(否定することほど簡単なことは無い)
②全て受け入れながら、同時に全て疑い、時には気付いたことを大きな声で発信しましょう。(好かれる為に参加する訳ではないでしょうから、思った事を言葉にすることは大歓迎です)
③自分のことしか考えない人が集まっているということを前提にして、自分も含めて第二の視点を常に意識しましょう。(言葉が通じない人と一緒にいると思った方が良いかもしれません)
④外部との窓口は自分だという意識を持って、誰にでも伝える意気込みで言語化する練習を常にしましょう。(その為に、モノが必要になることを意識しましょう)
⑤搬入プロジェクトに参加して、何かは得して終えるようにしてください。誰のためでもなく、自分のため、自分の想像力を拡張する為に参加しましょう。(私が一番得したいと思っています) -
宮村ヤスヲ
『次元の変化を意識しつつ、そこでできる可能性を最大限に探っていく』
[略歴]
悪魔のしるし宣伝美術担当。グラフィックデザイナー。1973年熊本県熊本市生まれ。1998年東京造形大学デザイン学科Ⅰ類卒。演劇関係の他にも展覧会のアートディレクション、ショップのブランディング、各種ロゴタイプ、パッケージ、ブックデザインなどを中心に活動中。[コメント]
広報・制作コースを担当します。グラフィックデザイナーとしての僕が主に製作しているのは2次元の世界ですが、扱うモチーフは3次元のものが多く、この搬入プロジェクトは製作する物体も、パフォーマンスとしての搬入行為も、圧倒的なほどの3次元(もしくは時間も含めて4次元)な存在且つ行為であり、そこが魅力でもあります。広報活動の中でその特徴を伝える際に、そういった次元の変化を意識しつつ、そこでできる可能性を最大限に探っていくことが大事だと思っています。また、こういった集団で行うプロジェクトを愉しむには、当事者意識を強く持つことです。義務感のようになってしまうのは本意ではないので、あまり堅い言い回しは避けたいのですが、搬入プロジェクトにまつわる一連のあれこれを自分自身のこととして捉え積極的に参加することによって、やるべき作業がおのずと見えてくると思います。とても貴重な機会なので、今回参加している講師陣に対して学生のみなさんとのうざったいほどのやりとりを期待しています。 -
山城大督
『新しい映像の文法|ライブ(出来事)/ドキュメント(記録)』
[略歴]
1983年生まれ。名古屋在住。美術家・映像ディレクター・ドキュメント・コー ディネーター。映像の時間概念を空間やプロジェクトへ応用し、その場でしか体験できない《時間》を作品として展開する。「Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)」メンバー。タイムベースド・メディアインスタレーション作品『VIDERE DECK』が第18回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品に選出。「搬入プロジェクト」初参加。[コメント]
目の前で起こったことを、どう記録化するか。この命題は映像に課された最もスリリングで最重要なテーマだ。映像が誕生し早120年。人間は「モンタージュ」や「カットアップ」「スローモーション」などの映像文法を開発し、過去にあったことや想像の出来事を、何度でも再現できる映像メディアを創作してきた。さて、僕たちの生きる2016年には、どんな「映像文法」を生み出すことができるのだろうか。僕は今回「マルチチェンネル」での映像展示方法で、その可能性について、みんなと考えてみたいと思っている。それでは、よろしく。 -
RAD
『「悪魔のしるし」という刀を突き立て京都の切断面を覗いてみる』
[略歴]
「建築の居場所(Architectural Domain)」に関するリサーチ活動を行うインディペンデントな組織として2008年」に設立。「建築的なアイデアは「建てること」だけを目指すべきではない」を合言葉に、ではそのとき建築家に、あるいは建築には何ができるのかをリサーチしている。これまでにイベントの空間構成、アーティストの制作支援、建築の展覧会キュレーション、レクチャーイベントの企画運営、行政への都市利用提案等を行なう。[コメント]
そもそも「京都らしさ」とはなんだろうか。社寺仏閣や町家などの歴史的な街並み、祇園などの花街がつくりだす格式と伝統、紅葉や桜などの景勝地。それは京都らしさという数多のキャンペーンが作り出した京都(らしさ)のイメージ。であればよくある和の意匠、木や竹に漆や金箔などの素材を用いれば、「京都らしさ」のイメージは取り繕える。しかし、京都らしさという書き割りは我々の眼差しに依存し、またすでに現実は各種のイメージの模倣によって支えられている。
そこで我々はそんな禅問答の箱にしばしの別れを告げ、搬入プロジェクトの本意に立ち返り、この搬入の賭け金とされている「無根拠さ」のドライブをリサーチと捉えてみたい。つまり、京都というコンテクストの中に搬入を位置付けるのではなく、逆に搬入によって京都というコンテクストを異化させることはできないだろうか。京都らしさのルールやしきたりから積極的に傾いて(かぶいて)いく搬入というエクストラオーディナリーなふるまいにこそ眼差しの活路を見出したいのだ。幾重にも塗り重ねられた京都らしさに新たなレイヤーを加えるのではなくて、「悪魔のしるし」という刀を突き立て京都の切断面を覗いてみる。それが美しいか、醜いか、はたまた悪魔が顔をのぞかせるのかは、切り開いた先にしかわからない。 -
増本泰斗
『ピュアなインターネット』
[略歴]
1981年広島県生まれ。京都在住。2007年〜2008年ポルトガル・リスボン在住。近著に「フリースタイル・ダイアローグ(アートスペース13)」。Grêmio Recreativo Escola de Política、The Academy of Alter-globalization、Picnic(杉田敦との協働企画)、予言と矛盾のアクロバット、ARTISTS’ GUILD、レペゼンきょうも、など複層的に活動中。[コメント]
四条大宮に、いつも満員で入れそうで入れない酒場がある。そこはカウンターのみで縦に長くて狭い店なのだが、ある日、入ろうか入らまいか迷っていた時、みかねた常連のむらちゃんという初老の男が入り方を教えてきた。それはとてもシンプルだった。自分の身体を空いているスペースに少しずつ押しこむだけである。そうすると自動的に目の前の男が少し後ろにさがり、その後ろの女が少し横にそれ、そのまた後ろの男が。。。というように少しずつ少しずつ、自分の身体が酒場の中に入っていく。そのような感覚だったことを覚えている。
一方、搬入プロジェクトのことを知ったのは、インターネットだった。そのインターネットでは、複数の土木作業委員が赤い構造物を近代的なビルに突っ込む様子が映し出されていた。また別のインターネットでは、田園風景を背景に祝祭的な感じで大きな構造物を運んでいる様子が映し出されていた。つまり、僕の中では、様々なインターネットで知っているプロジェクトなのだ。その意味においては僕の右に出る者はいないだろう。いや、いるかもしれない。今回、そんなプロジェクトにインターネットから関わることになった。これはある意味においてピュアなインターネットである。でもなぜだろうか。インターネットでしか知らないプロジェクトなのだが、それでも何かしらの現実感を感じている。それは、もしかしたら、四条大宮の酒場での経験とシンクロするからなのだろうか。
いずれにせよ、この現実感を紐解くことがインターネットから関わることである。分かるだろうか。インターネットは、もはや単なるバーチャル世界ではない。拡張された身体がそこにあるのだ。つまり、超バーチャルであり、超現実でもある。と言えなくもない。そして、そのことを永遠に確かめようとする試みの連続でしかインターネットは存在していないのである。だから僕は、この機会にそれを確かめたいと思っている。それも一人ではなくて出来る限り多くの人と。