関係者からのメッセージ
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伊藤 暁(建築家)
『目撃し、体感せよ』
運搬して入れる。ただそれだけ。にもかかわらず、人を惹付け、動員し、時には参加させ、語らせる。搬入プロジェクトは不思議な魅力を帯びている。この魅力が何なのか、ひとことで言い当てる言葉を僕は持てずにいる。危口が自身の揚重工経験から思いついたという搬入プロジェクトは、露悪的でありながら善行的で、ひねくれていながら素直で、計画的でありながら場当たり的で、単純でありながら複雑で、洗練されていながら粗雑で、首謀者の危口は演出家でありながら傍観者で、客は鑑賞者でありながら参加者で、ようするに両義性と二律背反に溢れている。だから、この演目の魅力とは一体何なのか、言葉にしようとした途端に大部分はするりとこぼれ落ちていく。その片鱗に触れるには鑑賞し、参加し、巻き込まれてみるのが一番だ。この、定義を拒むアンビバレントな演目を、ぜひ目撃し、体感してほしい。その傍らにはきっと、ニコニコ笑いながら困惑している危口が立っているはずだ。
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服部 浩之(あいちトリエンナーレキュレーター)
『創造的ドキュメントによる反転』
ライブの演劇パフォーマンスがドキュメントされ、展示という形式で再演されることは何を意味するだろうか。本展は、「生」の体験を最重要視するパフォーミングアーツにおいて、その生の体験を創造的に記録し、異なった形式と して再演する試みだ。展覧会のディレクションを担当する山城大督はアーティストコレクティブNadegata Instant Partyとして、ライブ的で演劇的な出来事を映像やインスタレーションを介してドキュメントすることで、現実世界に不思議 なパラレルワールドを築きオーディエンスを魅了してきた。映像として記録され編集を経て俯瞰されることにより、生の現場に没入しているときには見えていなかった細部の肌理や思わぬ関係性が鮮やかに描出されることがある。現実とフィ クションのあいだに明確な境界線を引くことは可能だろうか。もしかしたら、その境界が曖昧であるからこそ刺激的な世界への扉が開かれるのかもしれない。錯乱する現実とフィクション、ライブとドキュメント。他者の眼を介して脱構築さ れたドキュメントとして再演される演劇は、思考する身体に新たな衝撃を与えることは間違いないだろう。
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金森 香(シアタープロダクツプロデューサー)
『なにげない人間の運動が祝祭になっていく』
戯曲なく、仕組みが誘発する出来事によって必要にかられて発せられる「言葉」(「もっと右に〜」とか、「ぐぬぬぬぬ」とか)や、「振る舞い」(物体を持ち上げたり回転させたり)が舞台芸術として鑑賞されると事態、オーディエンスが物体とその模型とを見比べ視点を行き来させることで得る自分がいる建物のかたちの物語的な凹凸への気づき、それがまた物体の経路や観客の立ち位置などを規定し、特有の形で公演を前進させ、関わる人すべてを舞台にあげ、搬入されるさまざまな空間を劇場にしていく様は、実に、痛快なのだった。とりわけ初演では、「揚重工」という職能の人たち(当時の危口のバイト先の仲間)とその手さばきを初めて知り、目の前で危口氏のバイト活動と演劇活動がともに演劇神によって祝祭的に召されて亡霊となっていく光景が、壮絶だった。